発行物:訳詩集 僕の五臓を引きちぎります
- 2018.07.01 Sunday
- 14:30
かなしいうた 詠み人知らず
悲しい歌は涙のかわり、
遠くを見遣るは家路のかわり。
考え事は降り積もり、
頭の中で化石します。
家に待ってる人はなく、
川を渡るに船もない。
カラカラ回る無為な思考は、
ぐるぐる回る車輪となって
僕の五臓を引きちぎります。
[原題]
悲歌(ひか)
[作者]
不明
[解説]
詠み人知らずの、悲しい望郷の歌。
出典は『楽府詩集(がふししゅう)』です。楽府(がふ)とは楽曲を記録する役所のことでしたが、役所で記録された楽曲そのものを楽府と呼ぶようになりました。この歌も楽府のひとつであり、もっとも古い約二千年前の「古楽府(こがふ)」に分類されます。
名もなき彼は、どんなふうにこの曲を歌ったのか。今では誰にもわかりません。楽府の旋律は早くに失われ、ただ歌詞のみが現在まで残っています。
思い人 読み人知らず
わたしの思う、あのお方。
大海近くにいらっしゃるのよ。
あのお方には、何を贈ろう。
双(なら)びの珠(たま)のべっこう簪(かんざし)。
綺麗な玉(ぎょく)で飾られてるの。
聞けばあなたに
他心(ふたごころ)
この贈り物は、もう要らないわ。
砕いて焼いて、灰を散らすの。
これから先はもう思わない。
あの時のこと、覚えているわ。
恋しいあなたと別れる時に、
鶏や犬が気づいて鳴いた。
きっと兄嫂(あね)は
悟ったでしょうね。
今 秋風はさわさわと吹き、
はやぶさは低くかすめ飛ぶ。
東の空にお日さま昇れば、
わたしの心をわかってくださる。
[原題]
有所思 思う所(ひと)あり
[作者]
不明
[解説]
またまた『楽府詩集』より、名もなき女性の恋の歌。南の、呉の言葉を話す彼女には、海の、さらに南に恋人がいます。遠くにいるあの人に、何を贈ろう。彼女は考え、両端に真珠がついた、玉で縁取られた、鼈甲(べっこう)の簪(かんざし)を贈ることにしました。真珠も鼈甲も呉の名物です。また簪というと日本では女性用ですが、中国では成人男性のかぶる冠をとめる、現代でいえばネクタイピンのようなアクセサリーでした。
しかし思い人は彼女を裏切り、彼女は贈り物を燃やしてしまいます。思いを断ち切ろうとしするけれど、浮かんでくるのはあの人と過ごした夜。朝になってあの人が去って行くとき、庭の鶏や犬が気付いて、鳴いて吠えてしまったから、きっと嫂(あによめ)のねえさんも、あの人の存在に気付いているだろうけれど……。
そう思えば断ち切りがたく、お日さまだけはわかってくれるとうそぶく彼女。この「有所思」という題材は後世に愛され、多くの詩人が恋心を歌いました。
とこしえ 郭璞(かくはく)
六頭の龍は留め置けず、
太陽の駆者(くしゃ)ぐるぐると。
時の流れに感じ入る、
秋になっては夏を求めて。
海は禽獣(けもの)を変えうるが、
わたしの生命(いのち)は変えられぬ。
不死の国へとゆかせてよ、
天駆る龍は御せないの。
徳があってもただのヒト、
決して戻せぬ過ぎたカコ。
年は流れる水のよう、
胸から溢れる嘆きの言葉。
[原題]
遊仙詩(ゆうせんし) 其四
[作者]
郭璞(かくはく)
[解説]
なんだか難解な感じがするこの詩は「六朝詩(りくちょうし)」に分類されます。典故(てんこ)(元ネタ)を知らないと何が何だかわからない難解さが六朝詩の特徴です。
六頭の龍とは、太陽をひっぱり時の流れを司ると考えられていた龍のこと。海がけものを変えるとは、むかし、海にもぐると雀は蛤に、他の動物も海の生き物に姿を変えたが、人間だけは人間のまま変わることができなかった。という話にもとづきます。
「遊仙詩」は詩のジャンルのひとつで、「不老不死の仙人になりたーい!」という詩です。しかしこの詩は遊仙詩っぽくありません。仙人にはなれない、とあきらめきった悲しみが、詩の全体を通して響きわたっているせいでしょうか。
作者の郭璞(かくはく)は四世紀の人。超人的な予知能力があり皇帝から寵愛されますが、反逆者に反乱は成功するか占わされ、「否」と答えたため殺されます。反乱の成否を見通していた彼には、ただの人間である自分の限界も、おなじく見えていたのかもしれません。
こんな感じで訳詩と解説がついた本です。
横長にしたので、実際のページはこうなっています。
見開きで右ページ(偶数ページ)に解説がゴシック体で、左ページ(奇数ページ)に訳詩が載っています。
収録作品は以下の画像をご覧ください。
変わった本ですが、よろしくお願いします。